2006年12月08日
教育基本法改悪は参議院で阻止を!"Keep9"1周年に寄せて。
今日は、65年目の太平洋戦争開戦記念日です。
そして、Keep9も結成1周年を迎えました。こんばんはMr.Kです。
(お久しぶりです ^^; 何かと忙しかったもので、、、)
開設当初のすさまじかった勢いこそありませんが、いまだに賛同ブロガーの増加が着実に進んでいるKeep9、今日で2年目を迎えて、今後も色々と新たな可能性に挑戦したいところです。皆様の積極的なご提案をお待ちしつつ、今日は国会でもっとも熱い焦点となっている教育基本法について一言。
教育基本法と日本国憲法は、戦後の民主主義の根幹を為す車の両輪です。
日本国憲法を変えようとする勢力が、教育基本法の改悪を突破口にしようと画策しているように、われわれ日本国憲法を守る運動に参加するものが教育基本法を守る運動と密接に連携をとることは言うまでもありません。
現在、参議院で審議されている教育基本法「改正」案、重要法案としては充分な審議時間が尽くされることが大前提です。本日8日の強行採決が既定路線のように報道したマスコミもありましたが、安倍晋三首相の外交日程のために、採決の前提となる締めくくり総括質疑が14日にずれ込むことになり採決が見送られました。
国会最終日は15日です。14日の総括質疑をうけて、15日に本会議で可決・・・与党の立場からはこれほどの綱渡りはありません。思い起こせば、タウンミーティングの「やらせ質問」が暴露されたとき、あのときに国会は2週間近くにわたって空転しました。今はたった1日の空転でも審議未了・廃案の危機が迫っているのです。
新規に発足した内閣が最重要法案と位置づけた法律で、ここまで追い込んだ事例は過去にありません。私たちの世論と運動、そして国会での野党の論戦がここまで与党を追い込んだことをよく見ておく必要があります。
つまり
追いつめられているのは私たちではありません
彼らこそ追いつめられているのです。
このことに自信を持って残る1週間、廃案に追い込むためのあらゆるアクションを実行にうつそうではありませんか!
投稿者 Mr.K : 23:07 | コメント (1) | トラックバック
2006年08月06日
8月6日「平和の鐘」をついてみませんか?
日付が変わって今日は8月6日。日本人ならけして忘れてはならない日となりました。ごぶさたしてますMr.Kです。
言うまでもなく今日は人類史上初めて原爆が投下された日。8月6日の広島の町はその他の日の広島の町とはまったく違った、特別の雰囲気に包まれます。
全国各地から集まった、平和を願う人々が「群」をなして平和記念公園におしかけます。
公園のそこかしこで行われる「語りべ」による被爆体験の告白。その「語り」に目頭を熱くする人々。年毎の首相による「平和の誓い」の変遷に神経をとがらせるジャーナリスト・・・
日本人なら一度は8月6日の広島の雰囲気を「体感」すべきだというのが私の持論です。
そして、可能ならばその「変遷」も含めて感じとるために、2年3年・・・と連続して8月6日の広島の町を訪れることをお奨めしたい・・・特に感受性の豊かな10代20代の時期に。
「8月6日の『広島の町の雰囲気』を体感すべき」という私の持論は変わりませんが、このブログを読む多くののブロガーが現時点で広島の町にいるわけではないでしょう、そこで、近場でその雰囲気を「体感」する手段として、8月6日の午前8時15分に最寄りの寺院にて鐘をつくというのはどうでしょう?
全国に広がる「地域9条の会」が主催して「平和の鐘をつくつどい」として、執りおこなうところも増えているようです。ちなみに私の地元の寺院では8月6日の8時15分に平和の鐘をつく集いが毎年の恒例行事として定着しています。
日本でおそらくもっとも有名な「お寺」である「金閣寺」の住職・有馬頼底さんは、地域の9条の会の呼びかけ人に名を連ねています。有馬頼底住職はブッシュ米国大統領が京都に来た際に「イラクへの侵略をただちにやめよ」と言いたかったのを、周囲の制止を受けて「世界が平和でないといけませんね」とだけ述べたのだそうです。大河ドラマの「義経」で有名になった「鞍馬寺」には、入り口右手の寺務所看板に「御仏の教えと 憲法9条を 車の両輪として 平和な世界つくりましょう」と書いてあります。仏教の「不殺生戒」キリスト教の「汝殺すなかれ」を例に出すまでもなく、宗教者の平和への思いは普遍的なものなのでしょう。宗教者による「9条の会」の結成も相次いでいます。
これを読んでいるブロガーの皆様に呼びかけます「8月6日は平和の鐘をつく日」として定着させてみませんか?働く人でも出勤前のわずかな時間を使って参加可能な平和運動、、、おすすめします。
投稿者 Mr.K : 00:10 | コメント (0) | トラックバック
2006年07月06日
第164通常国会をごく簡単に総括してみる
お久しぶりです、Mr.Kです。
北朝鮮がらみのきな臭い動きがありますが、こういうときこそ広い視野・長い目で世の中を見通すのが大事かなあと思います。
さて、6月18日に、意外や意外、会期延長なしで閉幕した第164回通常国会。
今国会の結果を簡単に総括してみますと、、、、
上程された法律案の数は152(他に予算案6、条約14、承認3、承諾8、決算7、決議2)。
前国会からの継続審議のものが14あるから、合計166の法案の審議を行ったことになります。
166の内訳を見ると、、、、
衆法・参法(議員もしくは委員長提出法案)が72、
閣法(府省庁からの提案)が94。
でもって、、、
成立した法律は96(衆・参法14、閣法82)、
否決が6、
継続審議・未了が45(衆・参法36、閣法9)
撤回が5
と言う結果でした、否決と未了の法律の圧倒的多数は野党の出した対案なんだけど、閣法の9の中に重要法案がてんこ盛りで残っちゃったっていうのが、今国会の最大の特徴でした。
中でも「国民投票法案」「共謀罪」「教育基本法案」を、継続に追い込んだのは、やはり国民の世論の前に、与党がゴリ押しで成立という結果を残したくなかったという意図が働いたのでしょう。
秋に招集される臨時国会は、始まる前から超ロングランの国会が予想されています。与党勢力は、来年4月の一斉地方選挙、7月の参議院選挙をにらんで、国民からの反発が予想される法案は秋の臨時国会でさっさと成立させて、通常国会では国民から期待を集めそうな「少子化対策」等を出してきて与党の実績をアピールすることになるでしょう(そして選挙が終わったころを見計らって、定率減税が全廃されることがすでに決まっていると、、、)。
しかし、私たち護憲の勢力には150日かけた通常国会でも、多くの重要法案の成立を断念させた「実績」があります。この7月8月の時期に、気を緩めることなく、護憲の世論を広げていくことが肝心ということですね。
(と、自戒の意味も込めて、実に久々のエントリーでした)
2006年06月02日
国民投票法を議論する国会の実態
ご無沙汰してます、Mr.Kです。
それにしても国会での国民投票法をめぐる動きは、どの報道をみても「わかりにくい」ですね。どうにも「観測気球」的な記事ばかり、困ったものです。
さてその国民投票法ですが、6月1日についに本会議での趣旨説明が行われました。与党案と民主党案それぞれの提案と質疑ですが、本会議としては異常に長い4時間の質疑。最高法規である「憲法を変える」ための「手続き法」だから、その提案は「歴史的な意義をもつ(船田元・自民憲法調査会長)」はずなのですが、、、
ざっと見渡しただけで空席の目立つ本会議場「自民党幹部たちはそろっていなくなった」「ざっと数えただけで空席が150以上はあった」「公明党などは、自分の党の代表が提案し自分の党の代表が質問をしているというのに、半分以上が欠席していたように見えた」という有様だったそうです。
会期延長は行わないと言い切った小泉首相。額面どおり受け止めれば、今国会の成立は「ほぼ不可能」ということになりますが、だからと言ってこんなに緊張感のない質疑で良いはずがありません。
例え廃案になっても、次回の国会で「前国会でも長時間の審議が行われた経過を踏まえて・・・」等と、審議時間を短くする口実に使われるわけですから・・・
提案された法案の内容への批判について書く前に「そもそも『国民の代表』がこんな態度じゃあ、議論する資格すらないんじゃないの?」ってことで書いておきます。
新聞報道にはあまり出てこない国会の実態暴露でした。(^^
投稿者 Mr.K : 13:49 | コメント (1) | トラックバック
2006年02月17日
『武部幹事長の次男にライブドアから3千万円?』
お久しぶりです。すっかりご無沙汰して申し訳ありません、Mr.Kです。
さて、通常国会が開かれていますが、開会前に3点セットと言われた「耐震偽装」「ライブドア」「BSE米産牛肉輸入問題」だけでもずいぶんにぎやかな国会になるかと予想されましたが、開会後も「防衛施設庁官製談合問題」や「皇室典範問題」など、次々と問題が浮上「もう何がなんだか、とにかく大変」と思っていましたが、またまた新たな問題がにわかに急浮上してきました。
今回は軽~い内容の読み物です。ちょっと息抜き気分で書きました。
急浮上してきたのは、ライブドア前社長の堀江貴文氏から、自民党・武部幹事長の次男宛に3000万円を振り込むように手配を指示したメールが送られていたというもの。
昨日のの衆院予算委員会で、民主党の永田寿康議員が指摘しました。
永田氏は武部幹事長と次男ら関係者の参考人招致を要求。一方、武部氏は、国会内で記者団に「そういう事実は全くない」と否定しています。
小泉首相は「ガセネタ」と一蹴、一方の民主党も自民党からの追加資料の提出に応じることができず、自民党と民主党がお互いに懲罰動議を出し合う泥仕合の展開になりそうな状況です。
この問題の「メール」ですが、もし本当であれば堀江氏が3千万円と引き換えに「自民党から何を買ったのか」が気になるところですし、もし「ガセネタ」であれば永田議員はとんだお騒がせをしたことになります。
さてここで、このメールがまったくの「ガセネタ」であったとすると、永田議員は「名誉毀損」等の何らかの罪に問われることになるのでしょうか?
答えは「否」です。
憲法第51条にはこう書いてあります
「両議院の議員は、議院で行った演説、討論又は表決について、院外で責任を問われない」
つまり国会議員は院内での討論について、名誉毀損で訴えられたり、損害賠償請求を受けることはないのです。
野党の国会議員による国会での追求は、場合によっては特定の大企業を相手に不正を暴くということもあります。某消費者金融会社が不正を追求したジャーナリストに対し数億円規模の損害賠償訴訟を乱発して記事を書けないように圧力をかけたような手法から、主権者・国民の代表者を守るための大事な規定です。「懲罰動議」はあくまでも「国会法に基づいて」「院内での責任」を問うもの、そこには司法も行政も介在することはできません。
いずれにせよ「ガセネタ」と言い張るのであれば、自民党は堂々と参考人招致に応じて、自ら身の潔白を証明すべきでしょう。それもしないというのでは懲罰動議の根拠がありません。
投稿者 Mr.K : 23:03 | コメント (9) | トラックバック
2006年01月24日
ライブドア問題と日本国憲法
20日より国会がはじまり、小泉首相の所信表明演説では改憲の問題で確実に一歩前に踏み出した発言をおこなうなど、改憲をめぐる問題はいよいよ切迫して来ました。
にも関わらず、世間の関心は―と言うより、マスコミの関心は―マンション耐震偽装問題やライブドア問題など経済問題一色という状況ですね。もちろん、大事な問題ですから、きっちりと報道で真実を明らかにしていただきたいとは思います。しかし憲法問題を無視してよい理由にはならないはず。
ということで、今回は日本国憲法を通じてライブドア問題など経済問題について考える試みをしてみたいと思います。
私は経済の問題を考えるときにも、日本国憲法は一つの指針になると考えています。
[現行憲法]
第29条【財産権】
財産権は、これを侵してはならない。
財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
第22条【居住・移転・職業選択の自由】
何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
日本国憲法は、ある特定の経済の体制を前提とした法律にはなっていません。現行憲法のままでも、もっと自由主義的な資本主義になることも、社民主義的な福祉優先の資本主義になることも、中国のような一国二制度になることも、可能といえば可能な条文になっています。
ただ、私有財産を守り増やす権利の内容も、そのための職業選択の自由についても、まるっきり無制限に認められるものでは無いということについて、ちゃんと釘をさせるようにだけはなっています。それが、青字で書かれている「公共の福祉に適合する」「公共の福祉に反しない」という文です。
「公共の福祉に反しない」とは、「他人の基本的人権を侵害しない」と読み替えることができます。つまり、憲法が保障した基本的人権を制限できるのは、やはり憲法が保障している自分以外の他人の基本的人権だけであるという意味です。
さて、このことを踏まえて、マンション耐震偽装問題やライブドア問題を考えてみるとどうでしょう。「安全対策はコストがかさむ、コストを削らなくては利益を最大化できない」「法律さえ守っていれば、儲けるために何をやっても良い」という主張に対して、日本国憲法は「マンション購入者や一般株主の『基本的人権』を踏みにじってまで儲けても良いとは言ってませんよ」とハッキリ釘を刺してくれているのです。
ですから、財産や商取引に関する法律は、この憲法の精神にのっとって、個々人の間で「財産権」をめぐった争いが起きた際に、それを調整するべく公正・中立な取引として円滑に進められるように(さまざまな不備や抜け道が現時点であったとしても)整備されているわけです。
やはりどんな問題が起こったときでも、日本国憲法は物事を考える上で基本となる視点を与えてくれるているものです。
ではここで、この第22条・第29条について、自民党の憲法草案ではどうなっているかを見てみましょう、、、
[自民党憲法草案]
22条 何人も、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
29条 財産権の内容は、公益及び公の秩序に適合するように、法律で定める。
ハイ!しっかり、「改悪」されていますね。
自民党案は実に細かいところまで、よくぞ気配りをしてくれているものです。
22条では、他人の人権を侵害する職業をなりわいにすることも「職業選択の自由」と認められるように「自由が拡大」されています。
29条では、財産権の内容を「公共の福祉に適合(=個々の基本的人権同士の調整)」をすると定めた内容から「公益・公の秩序(=社会の利益や秩序)」を優先する内容へと置きかえています。
これでは、消費者・投資家を騙すような職業につくことも「自由」ですし、問題が起こったときには、個人の救済よりも社会全体のシステムを守ることのほうが優先されることになります。また、ライブドアのような「他人のお金」で「他人のつくった会社」を「買収しては転売するだけ」の会社で、買収される会社やそこで働く労働者、またリスクを背負わされる個人投資家にとっては、まったくはた迷惑な会社であったとしても、経済全体が発展しているあいだはそのことが憲法上も許されるということになってしまうわけです。
それにしても「自民党改憲草案」は、現行憲法の値打ちある部分を再認識するための「対象物」としてはなかなか良い教材です。
「現行憲法のどの部分が変えられようとしているか?」
「なぜ自民党案はそのような変更をしようとしているか?」
この二つの視点で、もう一度憲法の条文を並べただけの「keep9」のエントリーを読み比べて見ることを、皆さんにお薦めしたいと思います。
ということで今日はここまで!
最後まで読んでくれてありがと!応援まだの人はこちらをよろしく!⇒
2006年01月21日
いよいよ、通常国会がはじまります。
みなさんご無沙汰してます。Mr.Kです。
第164通常国会がいよいよ本日20日からはじまります。
今回の国会にむけては、マンションの耐震偽装の問題やライブドアの強制捜査で金融市場が混乱している問題などに国民の注目が集まっていますが、実は改憲の手続き法である国民投票法案の行方をめぐって、水面下では着々と準備が進んでいます。
今回も長文ですよ~
自民党は一昨日18日、通常国会に先がけて東京都内のホテルで定期党大会を開き、二〇〇六年運動方針と大会アピールを採択しています。
運動方針としては、憲法九条二項を削除し、「自衛軍の保持」を打ち出した自民党の新憲法草案を「わが国の平和と繁栄の道しるべ」として「実現にまい進する」と強調しているのが昨年から大きく変わった点。逆に変わらないのは首相の靖国神社参拝を引き続き続ける考えを示した点でしょうか。
また重点政策としては、改憲手続きを定める国民投票法の制定、教育基本法改定、防衛庁の「省」昇格実現などを列挙しています。
昨年の臨時国会では「日本国憲法に関する調査特別委員会」が与党のごり押しで、すでに設置がされています。この委員会は「日本国憲法改正国民投票制度に係る議案の審査等」を目的としています。
前身である「調査」だけを目的にした『憲法調査会』ですら、設置するのに議院運営委員会で7ヶ月の議論を要し、調査結果の発表まで5年の期間をかけたというのに、新しい法律をつくる権限を与えられたこの特別委員会は、たった1回の議院運営委員会で設置が決まり、たった2回の国会で法案の成立を目指すというスピードの速さです。まさに与党の数の驕りがなせる業、昨年の9・11ショックで与党大勝利を許したことで国会が様変わりしました。
また、昨年12月20日には自民党の中山太郎衆院憲法調査特別委員長を中心に、民主党、公明党の担当者が集まり、通常国会で国民投票法案の成立をめざすことで合意、民主党の枝野幸男・憲法調査会会長も「あとは技術的な問題」と述べたとも、もれ伝わっています。すでに事態はそこまで進んでいると見るべきです。
ここで、国民投票法に関して、これをどう見るのかという問題ついてひと言。われわれ護憲派の中にも、「国民投票のための法律すら無いのは立法不作為じゃないか?」「実際に国民投票で廃案にすれば良いのでは?」という意見をもつ人が意外と多いということです、世論調査などの数字で「9条については改正反対が6割」という報道も、漠然とそのような意見をもつ根拠となっているように思います。
この問題について、二つの「なぜ?」を考えてほしいと思います。
一つ目は、国民投票法はなぜつくられてこなかったのか?
それは、国民は憲法改正を望んでおらず、国民投票法を必要としてこなかったからです。
そもそも「立法不作為」が問題になるのは、憲法に基づく法律が整備されていないため国民の権利が侵害されているときに問題にされることです。近年問題になったのは、ハンセン病元患者を隔離するらい予防法を廃止しなかったことや、学生無年金者の救済をする法律が未整備だったことなどがあげられます。
国民投票法がないために私たち主権者である国民の権利が侵害されているわけでは無いですよね。
二つ目は、国民投票法をなぜ、つくろうとしているのか?
それは、自民党が憲法を(とりわけ9条2項を)変えることを望んでおり、そのための法律を必要としているからです。
実施するからには、国民に否決されることことが無いよう、万全の体制で準備してくるでしょう。
九条を守ろうという国民の世論は根強いものがありますが、改憲派は、この世論をどうやってひっくり返し改憲賛成にもっていくか、投票方法でもいかに可決されやすい方向にするか、国民投票の過半数を得やすい仕組みをつくろうと必死です。
憲法の改定には「国民投票で過半数の賛成」をえることとなっていますが、その過半数を「有権者の過半数」にするか「有効投票の過半数にするか」は決まっていません。自民党はもちろん、一番ハードルの低い「有効投票の過半数」にしようと狙っています。投票の年齢も18歳以上にするか20歳以上か、これをどちらにするかもハードルが低くなるほうを選択することを狙っています(現在は20歳以上を主張しています)
投票までの運動期間などもこれから話し合われますが、自民党は「公職選挙法程度の規制」が必要だと主張しています。選挙期間中に、候補者名を書いて自由に応援することについて「これって選挙違反かな?」とビクビクしながらエントリーを書いた経験のあるブロガーの皆さんには、公職選挙法程度の規制が何を意味するかは理解しやすいと思います。まさに言論統制の危険です。
改憲派は一気呵成に憲法を変えようとする乱暴者たちばかりではありません。
「改正をしていいかどうか調査するだけなら」
「改正の是非について議論するだけなら」
「改正に必要な法律をつくるぐらいなら」
と一歩一歩、確実に、したたかに、物事を前に進めようとしています。
その一つ一つの動きに「そんな程度のことに反対したら、頑固者と思われるんじゃ・・・」などと、われわれ護憲派が躊躇しては、まさに敵の思う壺です。その妥協が結局は
「国民投票を実施するだけなら
「自衛隊を書き込むだけなら」
「自国の防衛のためなら」。
という流れをつくってしまうのです。
国民の関心を逸らすニュースがてんこ盛りの情勢ですが、今国会の最重要法案―国民投票法―皆さん、要チェックですよ!
投稿者 Mr.K : 01:36 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月04日
結成宣言にこめた思い・・・その3
「人の心を動かす文章」に求められるのは、読みやすさ・美しさもさることながら、その文を書く本人や、書くことを委託した人(あるいは人たち)の「思いの強さ」がどれだけその文に反映しているかだと思います。
*今回は長文ですよ~
特に、今回の「結成宣言」のような、多くの人に読まれることが最初から約束された文章であれば、多くのブロガーの「憲法を守りたいという強い思い」を意識しないわけにはいきません。Mr.Qさんをはじめ、このブロガーズ・リンクの目的や概要について準備のための議論を積み重ねる中で、文学的な素養のまったく無い私のような人間にもそれなりに受け入れてもらえる「宣言文」を起草することができたと自負しています。
さてここで、話しを変えて憲法の話題に。
読むたびに私の心を動かしてやまないのが日本国憲法の「前文」です。私はこの「前文」を読むとき、起草者が意識したであろう、当時の日本国民から託された「思いの強さ」を感じずにはいられません。
現行憲法がGHQによる押し付けだという批判がありますが、そもそも1945年当時の世界で「新しい憲法をつくろう」と考えたとすれば、「憲法とは国民が国家に守らせるべき法」であるという、近代立憲主義の基本原則や、「主権在民」「基本的人権」「戦争放棄」といった考え方を盛りこむことは、欧米流の民主主義国家の建設を目指すのであれば必然的な流れだったわけです。
だから、あとはそのことを当時の日本人の「思い」をいかに反映して書き込むかという課題が前文の起草者に課せられたのだろうと思います。
出来上がった「日本国憲法・前文」は、もう二度とあんな悲惨な戦争をしたく無いし絶対にしないという強い決意=日本国民の「強い思い」を反映した「文章」として、59年たった今でも、私たちの心を動かすアピール力の強い文章に仕上がっています。
翻って、自民党の改憲草案の前文はというと、、、あの「読売新聞」でさえも「無機質」(10月29日朝刊)である、と書いたように、起草者の思い入れを一切排して、盛り込むべき基本原則をただひたすら羅列しただけの、実に薄っぺらな文章にしあがっています。
新しく盛り込まれた『愛国心』や、バッサリ削除された『侵略戦争への反省』という、憲法の基本原則に関わる部分の問題の大きさもさることながら、私などは、前文そのもののあの「薄っぺらさ」を見るにつけ「ここには『私たち国民の思いを、新しい憲法に盛り込もう』という視点は一切無い文章だな」との思いを強くするのです(ある意味、中曽根元首相が激怒するのもうなずけると言うか・・・)
そして、ここには
「国民が国家に守らせるための法律」という基本原則を
「自民党が作って、国民に守らせるための法律」に置き換えようという、近代立憲主義を逆立ちさせる自民党の改憲草案の本質が反映しているのだろうと感じずにはいられません。
ということで、今回ははここまで。
最後まで付き合って読んでくれた方に感謝です。
この記事に共感したらこちらをクリック!⇒
そうそう、ご挨拶が遅れてしまいましたが、皆さん新年明けましておめでとうございます!
投稿者 Mr.K : 21:01 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月30日
結成宣言にこめた思い・・・その2
私が書くのに一番時間をかけたのが、結成宣言の中ほどのフレーズ。
「平和な社会、言論の自由、民主主義と基本的人権、私たちがブロガーとして空気のように当たり前に享受しているかけがえの無い「価値」は、その多くが日本国憲法によって守られてきたものです。」
実はこのフレーズ、具体的な「価値」として「平和な社会、言論の自由、民主主義と基本的人権」をあげましたが、これはもともと、もっと長かったのを文章をスッキリさせるためにバッサリ削ったものなのです。
私が考えた、ブロガーが享受している日本国憲法の「価値」あるものの数々、いくつか上げてみましょう。
「通信の秘密・検閲の禁止」・・・言わずもがなですね、検閲を受けていたらブログを書く楽しみなんてまったくありません。
「学問の自由」・・・インターネット通信の技術が軍事機密として自由な学問の対象から除外されていたら、、、想像したく無い話ですが可能性としてはありえたと思います。
「幸福追求権」・・・すべての国民が個人として尊重される。幸福追求権は公共の福祉に反しない限り(=他人の幸福追求権を侵害しない限り)最大の尊重を必要とされる。―国民をブロガーに置き換えてみてください。
「法の下の平等」・・・人種・信条・社会的身分や門地でブロガーを差別する無料ブログ会社があれば、その会社は支持を失うでしょう。それは、この憲法の精神が国民に深く根ざしているからと言えます。
公布から59年もたつ法律が、21世紀の今日の時点でも「現役」で、私たちブロガーを守るためにしっかりと働いてくれていることにあらためて驚きます。
当時はまったく想像さえできなかったであろうインターネットやブログの世界で、普遍的な「価値」を光り輝かせているのです。すごいと思いませんか!?
さらに付け加えれば、日本国憲法の持っている「奥深さ」との関係では、「価値あるもの」の掘り起しは上記の文書でもまだまだ不十分であるとさえ感じるのです。
そこで、皆さんにあらためて呼びかけたいと思います。
賛同ブロガーの皆さん!
あなたがブロガーとして享受している、日本国憲法の「価値あるもの」は何ですか?
コメント欄とトラックバックでの交流・討論をあらためて呼びかけます。
ということで、今日はここまで。
投稿者 Mr.K : 09:15 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月28日
結成宣言にこめた思い・・・その1
結成宣言の冒頭に「祖国」という言葉、もしかしたら違和感を覚えた人も多いかもしれません。
普段使い慣れない用語であることと、我々を「反日勢力」だの「売国奴」などと侮蔑する『愛国者』を名乗る改憲勢力が好んで使う用語であることから、少なくない違和感を与えるであろうことを覚悟した上で、あえて使わせていただきました。
それは、憲法9条を守りたいと願う私たちこそが、平和憲法を持つ日本という国を本当の意味で大事にしようと考えている「真の愛国者」なのだという断固たる意思表示の意味をこめたかったからです。
憲法を変えて「戦争をできる国になる」=「将来・いつかは戦争をする」ことは、資源・食料のないこの日本という国を「将来・いつかは滅ぼす」ことにつながるのであって、本当にこの日本を愛しているのなら、決して戦争をしないと誓った平和憲法を守るぬく決意をもつ私たちこそ、「祖国」の用語を使う「愛国者」にふさわしいと私は考えます。
「世界平和への貢献」という言葉も同様です。「国際貢献=自衛隊の海外派兵」というまやかしがマスコミ全体を覆っているので、少なからず違和感を感じることでしょう。
しかし考えてほしいのです、第2次世界大戦後の60年間、戦争によって外国人を殺したことも殺されたことも無い国は、先進国では日本だけです。このことは世界平和への最大の貢献であったと我々護憲派は胸を張って誇るべきなのではないでしょうか。
私は「彼ら」(=改憲勢力)の手から私たちの手にとりもどしたいと願っているのです。
「愛国」と称して戦争という最悪の「亡国」の道を突き進む彼らの手から
「祖国」の用語を使いながら「米国」の言いなりに平和憲法を変えようと企てる彼らの手から
「国際貢献」を叫びながら国際社会からの批判を浴びる米国の戦争に盲目的に追従する彼らの手から
「愛国者」の称号、「祖国」という用語、「国際貢献」の旗印、これらすべてをとりもどしたいのです!
ということで、今日はここまで。
投稿者 Mr.K : 07:30 | コメント (4) | トラックバック
2005年12月27日
まずは自己紹介と投稿方針-Mr.K
はじめまして、Mr.Qさんからご紹介されていたのに、登場が遅くなりました、Mr.Kです。
「憲法」のK、「keep9」のKの意味をこめて「Mr.K」を名乗ることにしました。
このブログは「憲法9条を守りたい」と願うブロガーが、『トラックバックと相互リンクでつながる』ことを目的としたブログとして、特定の呼びかけ人や代表者を置かずに、賛同ブログが対等平等につながりあうことをルールにしています。したがって私自身も自分のブログを持っていますが、このブログでは「Mr.K」と名乗らせていただきます。
私の役割は、憲法をめぐる国内政治・社会全般についての論評と、「憲法そのものを語る」ことです。
書く内容については、keep9の公式見解として賛同ブログに押し付けるという性格ではなく、あくまでも「議論の出発点」「つながりあうきっかけ」として、話題を提供するものと思って読んでください。
ちなみに、皆さんが最初にトラックバックを送っていただいた「結成宣言」は、Mr.Qさんの依頼を受けて私が起草しました。
明日以降、この結成宣言にこめた「文書起草者の思い」をポイントを絞って何回かに分けて書きたいと思います。
今日はここまで!今後ともよろしくお願いします。