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2006年06月10日

[交流集会]よびかけ人 大江健三郎さん

大江健三郎さんの挨拶

 「先日、大阪で『沖縄ノート』関係の裁判があった。この作品は、古堅宗憲さんの死について書くところから始まった。彼は1969年に、火災のため、ここ(日本青年館)でなくなった。青年館は当時、沖縄返還運動の拠点だった。彼は植物学が専門だったが、沖縄返還運動の仕事をはじめた。実際には、日本から切り離された沖縄で、憲法の冊子をつくって、それをシャツの胸ポケットに入れようという運動だった…」

 「憲法9条が作られた動機は、東京裁判で天皇の戦争責任の追及をさけたかったこと、本土を非武装にするかわりに沖縄を巨大な基地にすることだった。
 いま、この三十年前に書いた本で訴えられ裁判になっているが、この本のなかで私は、スーザン・ソンタグの言葉を引用した。「モラル・イマジネーション―倫理的想像力」。戦争末期の沖縄・慶良間諸島に、日本軍の沖縄本島防護の前進基地があった。
 そこで500人の女性、子供、老人が集団自殺した。日本軍の手榴弾での自殺もあるが、家族が棒でなぐりあって自殺した。私が『沖縄ノート』を当時、書いたのは、25年前のことを忘れていいのか、という思いが動機だ。モラル・イマジネーションを問いかけた。

 マッカーサー司令部やあるいは日本の支配層の思惑はあったにしても、憲法・教育基本法をつくり、うけいれた日本人のモラル・イマジネーションはすごいものがある。
 教育基本法には、あの敗戦のなかで、教育のために何とか仕事をしたいという思いが書かれている。『この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである』(教育基本法前文)―『この理想』とは、戦後の苦しい中で再出発する、世界の平和につなごうという九条の理想があった。それは、根本において教育の力であると書いた。
 そこには、人間の回復、国の回復を成し遂げる子どもたちへの畏れ、祈りがあった。この「教育の力」という言葉が、教育基本法の改定案には使われていない。そのかわりにいろいろな条件を、一つ一つの条文につけくわえ、これこれの条件をつければ思い通りにできるという根拠のない思いにとらわれている。
 
 九条の会に、自立した多くの人、5174もの人たちが集まっている。九人の呼びかけで出発したとき、憲法、民主主義をうれうものとして、意思をあらわすということ、私たちの声に応じて、それぞれの人が、多様な声を発してくれれば、重なり合う場所、そこに九条の会があればいいと、最初の会見で言った。
 私たちが望んだ多様な声の中に、重なりの中に、教育基本法の運動がある。結実していることを喜んでいる。
 憲法・教育基本法を守りうるか、私たちはわからない。しかし、倫理的想像力を考え、子どもたちの将来、憲法の将来を考えていきたい。少しずつ、声を上げていきたい

投稿者 Mr.X : 2006年06月10日 17:12

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