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2007年08月03日

追悼 小田実さん

 「9条の会」の呼びかけ人の一人で、作家の小田実さんが30日、都内の病院で亡くなった。末期がんとの苦闘の末の往生だった。

 小田さんは60年代、哲学者の鶴見俊輔さんらと、米軍のベトナム北爆に反対する市民団体「ベトナムに平和を!市民連合」を結成。多くの市民の心を集め、街頭に繰りだした。それから40年。反戦平和、市民運動一筋でぶれずに「行動する作家」であり続けた。

 小田さんの活動の原点は、先の大戦での自身の空襲体験にある。
1945年8月14日、日本政府が「国体護持」に固執し、ポツダム宣言受諾をためらうなか、米軍は、大阪に最後の空襲を敢行。大阪は壊滅に追い込まれた。「このなかは地獄でした。大阪がここから出発しているんだということをわれわれは忘れてはいけない」。戦前、小田さんは大阪大空襲の写真を手に何度も語っている。

 「戦後、(日本は)民主主義と自由を獲得した。しかし、同時にアメリカはものすごい空爆で一方的な破壊と殺りくをやった。そうなると民主主義と自由は結構だけれど、戦争を否定するものをくっつけない限り、結局、破壊と殺りくを、われわれが行い、あるいは行われることになる。平和主義がないと、民主主義も自由もないんだというのが私たちの憲法なんだ」(04年9月20日)。

 その小田さんが、最後の闘いに選んだのが、憲法9条を守る運動だった。
 04年には、作家の井上ひさしさんや大江健三郎さんらとともに、憲法9条改悪の一点で団結する「九条の会」を結成。「日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、「改憲」のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を」(9条の会アピール)と呼びかけ、思想・信条の違いを超えた護憲大共闘の旗を振った。
 「9条の会」のメンバーは、わずか9人。だが、アピールに賛同する人たちが各地で自主的に結成する「○○9条の会」は、日本全国に6千団体以上に広がった。これらの会には、旧社会党や共産党の支持者だけでなく、自民党の議員経験者、元自衛隊幹部も参加している。
 しかし、国民投票で過半数を制し、改憲を阻止するという目標に照らすとまだまだ道なかばだ。

 先の参院選の結果、野党が参院の過半数を制したが、第一党となった民主党の中には、改憲志向の議員も多く存在している。衆議院では、自民・公明の与党連合が依然として改憲発議に必要な3分の2の議席を有している。

 小田さんは逝ったが、「九条の会」と護憲勢力の闘いは、これからが正念場だ。戦争放棄と戦力の不保持をうたう日本国憲法を日本人が再び自らの手でつかみとるまで、その闘いは続く。小田さんも、その結果の報告を、楽しみに待っていることだろう。   合掌

投稿者 Mr.Q : 2007年08月03日 00:56

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