【会員からの手記】国境の町 安東(現丹東、中国の東北地方)

国境の町 安東(現丹東、中国の東北地方)

東山セツ子

はじめに
 太平洋戦争は私個人にとって、平和な時代とは全く異なる多くの実体験をしたという点があげられる。小学校三年生の時に終戦を迎え、一年余り後に安東から引き揚げた。焦土と化した東京での生活に入り、中学生の時、ようやく日本は独立した。
 たとえ貧しく、食料不足であっても、自国の領土に住んでいるという安心感と敵の襲撃を受けないという安心感などは何にも替え難いものだ。

1.戦時中の生活
 鴨緑江の河口に、大規模な港を建設するという計画の下、大東港建設局に父が赴任したので、家族は昭和17年3月に転居した。空襲は無く、どこの軍隊にも出会わず、平穏な毎日の中、ラジオの放送だけが騒然としており、日々、大きな戦果を伝えていた。そうであるならば勝ち進んでいる筈なのに何か違うようだと感じ始めてくる。シンガポール陥落が私にとって、開戦後最初の戦果で、未だ世田谷在住の頃であった。
① 安東兜在滿國民學校(小学校)
 毎日、朝礼から始まる学校生活。遠く東京方面に向かって、皇居へ遙拝する。教室に入ってからは児童としての心構え三つを唱える。その一つに、「武士が戦に行く時の覚悟で励みます」というのがあった。どのような覚悟なのかは説明無く、よくは分からないが一生懸命努力して学習しなくてはいけないようだ。音楽の教科書は日本国内と同じものの他、満州用のものとの二種類があった。
 国語は「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」から始まり、三年の一学期には、「ににぎみのみこと」の章で終戦となってしまった。スケートは体育の授業には無かったが、大会があった。スケート靴は牛皮と金属不足のため、下駄スケートが配られた。自分で紐を用意して板に結びつけて履くのだが、刃の質が悪くて、ほとんど滑らない。給食は年一度の豚汁会のみ。水道の生水は硬水なので飲んではいけない。昼食時はお茶一杯分あり、その他は持参の水筒。白墨は大変貴重で少量。現地の人の小学校では豊富に使っており、その差の大きい事に驚いた。
② 日常生活
 暖房専用のペチカには石炭を使うが、配給は11月15日からの分であり、既に寒いので早くから焚く。主食の配給は米と大豆。枝豆やトウモロコシは庭で良く育つ。野菜・魚介類・南京豆や菓子類なども東京より豊富にある。衣類用の布等は配給だ。下駄や雑貨等は国境の鴨緑江を徒歩、船、汽車で越え、日本で購入できるが、税関の検査を受ける。

2.敗戦後の社会
①8月15日を境にして
 正午の玉音放送は自宅で聴いたが、雑音で良く聞き取れない。「・・・受諾・・・」という単語を母が聞き取ったので敗戦と認識した。父は新京(現長春)におり、9月からは転校の予定だった。翌日登校となったが、それが最後の登校となり、國民學校は閉校した。後日、校庭で人民裁判があると聞いたが行かなかった。
 官庁では10ヶ月分の給料が支払われ、閉じた。やがて父は帰宅したが、庁舎には新京から南へ脱出して来た人々を受け入れ、同居生活になった。転居しなくて良かったと思った。敗戦後の生計は全て各自でたてる。商売を始めるとか、衣類・道具などを売って生計を立てるのが一般的だ。
③ 軍隊
戦時中は日本兵を含め、兵隊に出逢うことが無かったが、敗戦後には身近になった。
 ロシア兵は郊外の官舎地域にも通行し、天へ向けて空砲を放ったり、女性を探すので女性は短髪にした。決して男性には見えないのだが・・・。ある日、官舎の中の隣家にロシア兵が数人押しかけた。その家には若い男性達が数十人と主の女性一人が住んでいた。次々と男性が玄関に出て「女性はいない」と説明している様子。それを私は母や姉とともに、ひと続きの天井裏で聞いていたが、天井の板を外して覗いており、いつ登って来るかも知れないので恐ろしかった。また、18歳以上の女性で単身者は監護の仕事の為にシベリアへ送られて行った。近所に住んでいた一人は数ヶ月後に帰って来たが、既にその家族は日本へ引き揚げた後だった。
 中共兵は礼儀正しく、借用した物品はきちんと返却する。一方、各家庭には軍服のキルティングを手縫いで行う奉仕作業が課せられていた。
④ 通過・貯金
 戦時中の通過としては、日本・滿州、朝鮮の通貨が使われていた。敗戦後には支配権を握った国の通貨(軍票等)が用いられた。軍隊が撤退すると誰もが受け取らない。軍の動向についての情報には場所による差があり、まだどこそこの農家では受け取ってくれる、となるとそこへ買い物に行く有様。通貨の本質だ。赤票などは紙質や大きさ等がまちまちで、均一性にかけていたが、通貨として充分に通用していた。貨幣よりも「物」の方が確かな価値を維持できる。
 学校で貯金を扱っていたが、全額が大きいと褒められていた。終戦近くになった頃、滿州の土地を購入するように勤務先から勧められたりしていた。他国の土地を買ってどうする気なのか。帰国後まもなく、海外資産の調査があり、調査書を提出した。その内容とは直接の関係なく、年齢により、各々の金額を受け取った。

3.人民裁判と帰国
 閉院となった伝染病院の玄関前、広い階段の所で、人民裁判が行われていた。怒号の飛び交う中、子供達は側で遊んでいても叱られない。裁判中の一件が終わったある日のこと、父が自宅へ立ち寄った。これから裏山で処刑が行われるので立会人として同行するという。又とない機会だと思い、一緒に行こうと思ったが母に止められた。後で尋ねると、穴の前に立たされ、煙草一本を吸い、手縫いで目隠しされ、銃声一発で全て完了と。この件は引き揚げ業務担当の人が、自分の家族を先に帰国させたとの事。そのような状況下で我が家は引き揚げ最終日間近まで現地に残っていた。引き揚げ当日にマーチを早朝3時に、官舎の一区画を囲んでいる鉄条網の裏木戸まで迎えに来るよう、前払いで予約した。もし来なかったら、集合地まで一時間以上かかるので早めにしたのだが、定刻に来たのでほっとした。見送ってくれたのは犬のジョン。何度も飼い主の見送りをしたのだろう、木戸の外へは出ないで座っていた。
 人民裁判と同じ外階で歌を習った。「最後の決戦を出迎えしよ。・・・勝利は我等を待っている・・・」「ああインターナショナル・・・」どこで覚えたのかと、母は驚いていたが、母がこの歌を知っていたことに驚いた。

4.戦火(昭和21年10月)・真水・北緯38度線越え
戦時中に地上戦も空襲も無かった安東。世田谷区の生家は焼夷弾で家屋は消失し、二辺の板塀と屋根付きの門だけが残っていた。戦後には安東神社が焼かれ、遠方からでも夜空が明るかった記憶がある。また、引き揚げの当日は朝に荷物検査を受け、北朝鮮の帆船の漁船に乗った。夜中、船が動き出し、朝鮮側へ移動している。安東の町に火の手が上がった。12時、一段と大きな火が上がったのは変電所らしい。軍の撤退時に焼いた様子。夜が開けてから船は順に河口へ向かった。乗船した帆船は三隻が一団らしい。河口に近い方に位置していたのに出発してからは最後尾を走っているので不思議に思ったが、運航が一番上手な船だったようだ。河口近く、海に近付いた頃、鴨緑江の真水を薬缶一杯汲んだ。これが最後の真水だ。朝鮮半島の西岸沿いに船は南下する。くらげの泳ぐ海、太陽がゆっくりと西方の水平線へ沈んでいく海。
ある日台風に遭遇した。本船は帆を張った。いつもはぶらぶらしていた船員達の実に素早い身の捌きで、マストに登る人、甲鈑で帆を操る人、風向きを見極めての行動に見とれた。帰国後、この台風で多くの犠牲者が出たことを知った。帆に降った雨をドラム缶3つに貯め、乗船者にも分けてくださった。海水は辛すぎて飲めない。一日中水なしの生活は苦しい。水の必要性を痛感した。北緯38度のすぐ近くで、夜明け近くにやっと小舟に乗り移り、日の出を待って上陸した。すぐ近くにある井戸で水を飲む。このルートで帰国する人々にとって大切な井戸である。それから急な坂道を登る。一人しか通れない程の小道だ。その傍らには銃を持ったロシア兵が立っている。この辺りが北緯38度らしい。こんなにロシア兵に接近したのはこの時だけだ。

5.野宿・徒歩・倉庫生活
 38度線を越えてひと安心した。その夜は野宿だ。近隣の農家が店を出して、おにぎりを売っている。長い行列なのに母は知らん顔。少し待てという。確かに、行列はなくなり、品物を持って売り込みに来る。値段も下がり、後で炊いたので温かい。需要と供給の関係が良くわかった。羽布団の中で一夜の野宿。

6.倉庫生活
 秋晴れの一日、田圃道をひたすら歩く。道は農家の人に教えてもらい、一団となって進む。ついて行かなければそこが終着点となるから皆必死だ。体育館程度の大きな農業用倉庫で一週間程過ごした。倉庫の天井は高く、床は大地で、カマスを一枚敷いてあるが寒く、一人分の面積は身体の幅だけなので寝返りすると隣の人にその分、占領される。農家は秋の収穫時期で、麦の風選や稲抜きをしている。食料は各自で調達し、石やレンガの手造りカマドで煮炊きをする。朝鮮の貨幣が無い場合は持ち物と食料を物々交換する。

7.移動と食料
 租江から船が出るという情報が入り、海へ向かって歩くこと数時間。水辺から米軍の上陸用船艇に乗り込んだ。ここから、やっと軍の世話になり始めた訳だ。少し進んで、米軍の貨物船に乗り換えた。船は船尾が両開きになり、そこから船底へ入る。鋼鉄の床には敷物があったが固く冷たい。一人分の面積は身を横たえる分だけ。仁川港に上陸し、貨車で京城へ。
一夜停車してから南下。無蓋車でもあり、ゆっくり進む。びっしり詰めて座り、その面積のみ。時々止まって野外でトイレ。有蓋貨車の時は扉を数センチ開けて息抜きにするが、風下の人は大変だ。むしろ無蓋車の方が良い。途中、米軍から一人につき、パン一個が支給された。初めての支援食料で、釜山までには他に何の配給もない。日本の国は何もしないらしい。釜山港の倉庫に数日泊まる。予定より一日早く出港となる。もう少し港を見ておきたいとふと思った。とにかく日本の本土へ辿り着きたい。それだけで充分、というのが人々の願い。海があるので徒歩では帰れない、それが悲しい。引き揚げ船「興寧丸」の名は新宿の記念館には出ていない。何故なのか不明。釜山港から玄海灘を南下し、博多港へ。船は貨物船内に造られた二段ベッド。少しずつ貨物から人間扱いになってきた。
支給食料は乾パン、みそ汁、米軍用の大きなパイン缶等。米軍が人々の移送に関与している様子。乗組員は日本人。日本の地を踏む事が第一で、やっと12月6日に上陸。松原寮で日本の新紙幣に両替した。列車は客車。落ち着くまでは無料。帰途、箱根の旅館で一泊してから、代々木にある母の実家へ向かった。旅館は米持参の時代だった。米など持っていなかったが、白米を出してくださった。

8.小学校、中学校
 二学期も終わる頃に三年生に転入したので、教科書は自分で調達する。日本共産党の本部で揃わないものは新宿伊勢丹前の池田書店で購入した。国語の教科書は全紙の紙に印刷されており、自分で折って裁断して綴じたのだが、初めての製本だった。
 日本の歴史は教えないという時代に小学校を卒業したが、中学校の校舎のすぐ横には鉄条網が張られ、オフリミットの札が下がっていて、向こう側へ入ったら命の保証は無いという。この事実自体が現代史の一片だ。米軍の接収地はやがて東京学芸大学の敷地となった次第。
 小学校六年生の時、教室内に置かれている担任の先生用の机の上には「民主主義(上)」と「民主主義(下)」の二巻が置いてあり、休み時間に少しずつ読んでいた。上巻の方は大変興味深かった。先生方は終戦により、今までの考え方にかわって民主主義を学んでいらっしゃるのだと感じた。帰国後、真っ先に母が購入した本が六法全書であったことを思うと、大人は大変なのだなぁと感じた。
Source: 東京法律事務所憲法9条の会

元自衛官・泥憲和 鈴鹿講演会 録画ビデオ

2015年7月4日(土)鈴鹿市文化会館けやきホール
講演会:「元自衛官が語る日本の防衛=集団的自衛権と秘密保護法」
お話:元自衛官・泥憲和さん

 泥さんのお話は、パワーポイントをうまく使って、わかりやすく、楽しく、そして元気の出る90分でした。
 内容は、①
「安全保障の危機」というまやかし ②「憲法は無力だ」というまやかし ③「テロとの戦いは正義だ」というまやかし という3つのまやかしについて話され
たが、お話を聞きながら、マスコミが伝えないこと、私たちが知らないことがいかに多いか、改めて学ばされました。


Source: 九条の会すずか

戦争する道にすすむな 後もどりできない

6月の活動
 6月9日 各九条の会 戦争法廃案求め街頭宣伝
第二弾リーフレット「戦争ストップ!」
 好評活用中
 国民の素朴な疑問にわかりやすく
 6月 3日 街頭宣伝世話人会
 6月13日 県弁護士会主催の集団的自衛権反対市民集会に多数参加
 6月18日 天神定例(隔週)宣伝 
 6月19日 中央区九条の会 ダイイン 
 6月20日 東区九条の会戦争法案廃案求める緊急行動 パレード
 6月25日 リーフレット「戦争ストップ!」作成
 6月26日 6月第2回の世話人会
 同日    戦争法案廃案を求める福岡地区市民集会 デモ
 7月2日  定例街頭宣伝 5団体15名 リーフレット 580枚配布
 
今後の行動 7月16日 世話人会
               定例街頭宣伝
 リーフレット好評活用中
 ご希望の方は事務局にご連絡ください
 1部5円  500部以一部に付き4円
  事務局 はかた共同法律事務所 村井正昭

Source: 9条の会福岡県連絡会のブログ

元自衛官・泥憲和 鈴鹿講演会感想文

2015年7月4日(土)鈴鹿市文化会館けやきホール
講演会:「元自衛官が語る日本の防衛=集団的自衛権と秘密保護法」
お話:元自衛官・泥憲和さん
主催:泥憲和鈴鹿講演会実行委員会

 九条の会すずかも実行委員会に参加して、2015年7月4日、鈴鹿市文化会館で行われた泥憲和鈴鹿講演会。360名もの多くの皆さんのご参加ありがとうございました。
感想文・アンケートを133名の方からいただきましたので、主な感想をご紹介します。

1,1時間半があっという間でした。ユーモラスにわかりやすく伝えて頂いて、ありがたかったです。このお話を全国津々浦々でしてくださったら、絶対、戦争法案廃案、安倍さん退陣まちがいなしだと思います。ありがとうございました。(60代2回目チラシを見て)

2,前回よりもパワーアップした気がします。家族総出で参加しました。20代~80代(4人)。見えない真実をよくわかるように説き明かして下さいました。がんばらなくちゃね!勇気ももらいました。泥さん、ありがとう!お元気でいて下さい。及ばずながら、行動します。(50代2回目新婦人)

3,たくさん集まってよかったですね。大きくかまえたことが結果的には吉と出た。あとの行動の提起もgood!鈴鹿のとりくみ参考に、がんばります。(60代鈴鹿市外チラシを見て)

4,すばらしいものでした。DVDができたら欲しいです。知人・友人にすすめたいので。(70代桑名市2回目知人にすすめられて)

5,どうして戦争することが積極的平和主義なのか。戦争出来る国が普通の国なのか。安倍首相は「木を見て森を見ない」と言うが、守るべきものは人権、平和、民主主義だ。自民党政府が守るべきものとは一体何なの?国義、国体、戦前の社会に舞い戻る、そんな体制は御免だ。

6,メディアで流されない真実、びっくりしました。日本人も捨てたものじゃない。若者もすごい。最近、テレビ・新聞を見て落ち込んでいましたが、あきらめず、今日から始めます。感謝!

7,最後の言葉に力をもらったな。今日、安保法案について新聞で7/14委員会討議終了、7/15本会議採決、即参議院の予定を知った。法案つぶしの活動を続けているが、このニュースを見て、私は雨空を見て涙が出てきた。くやしい思いの涙です。しかし「通ったら選挙でつぶしてやる」と力が出てきました。(チラシを見て)

8,バンサモロの自治政府の発足のお話を聞いて、日本の平和憲法の大切さを知りました。高校の教員をしていたとき、一人の生徒がフィリピンにボランティアとして出かけていきました。時を考えると、お話と同時期だと思います。その地に直接出掛けてはいないと思いますが、若い人もそんな風に活躍していたのだと、泥さんのお話を聞いて、改めて感心しました。(70代女性鈴鹿市内初めてチラシを見て)

9,知人にすすめられて講演に来たのですが、秘密保護法、集団的自衛権についていろいろ知ることができました。こんな身近に個人が直接かかわっている法案とは・・・!!絶対反対阻止すべきです。(70代女性鈴鹿市内初めて知人にすすめられて)

10,今、日本がおかしくなりつつ有ると思っていましたが、私の様な無知な者にもわかりやすい講演でとても良かったと思いました。もっともっと多くの人達が、泥先生のお話を聴いて貰えるような機会があればいいのになと思いました。(70代女性鈴鹿市内初めて知人にすすめられて)

11,目のうろこがとれたというか、知らないことがたくさんありました。フィリピンでの日本人の働きに感動し、日本人であることの誇りを感じました。わかりやすく、とてもいい、元気をもらった講演会でした。(70代女性津市知人にすすめられて)

12,お体の具合が良くない中、よく鈴鹿までお出で下さいました。ズバリ、ズバリ、的を射たお話は本当にスゴイ。遠方から来て本当によかった!くれぐれもご自愛下さいますよう!共に頑張りましょう!ありがとうございました。ぶっつぶせ安倍政権。
(70代女性桑名市初めてチラシを見て)

13,わかりやすく、楽しく、そして元気の出る、良い講演でした。(60代女性鈴鹿市内知人にすすめられて)

14,なんとか時間を繰り合わせて参加できました。講演会に参加することも「戦争法案反対」の意思表示になると思い、泥さんの話を聞き、一人、二人と友人に広めて、何としても安倍内閣を打倒に追い込んでいきたいと思いました。(60代女性鈴鹿市内初めて新婦人)

15,テロは悪いと思うけど、武力で制することは難しいことだと教えられたと思う。
(60代女性鈴鹿市内初めて知人にすすめられて)

16,韓国の女の子の番組を何気なく見ていました。このようにして深く考えることなくすり込まれることがこわい。ジャイカ・チュニジアで武力を持ち込まないやり方が正しいということが確信しました。(60代女性鈴鹿市内初めて)

17,たいへん面白かったです。具体的に安倍さんのウソ(その前からですが)、図でもってわかりやすいことでした。
戦争法案についてはまわりの人は、みんな不安に思っています。中国こわいというイメージも広まっていますが、戦争法案はそれをこえて、不安に思われているようですね。(60代女性鈴鹿市外2回目チラシを見て)

18,すごい力強い講演。本当に言いたいことを言ってくれたと思いました。力をもらったと思います。(60代女性桑名市初めてチラシを見て)

19,とてもわかりやすかったです。画像、視覚から理解でき、イメージしやすかった。相互理解の大切さを教わった。将来のビジョンについて考えたい、考え直したいと思った。日本は平和ボケしてる。主人が中国で仕事をしています。理解不足を恥ずかしいと思いました。(50代女性鈴鹿市内初めて知人にすすめられて)

20,操作された情報におどらされていることがわかりました。先日、教科書展示にも行きましたが、同じですね!時代を見る目を養うことが大切!!これからも知らないことを教えてください。(50代女性鈴鹿市内初めてチラシを見て)

21,一生懸命な話に涙が出てきました。若い人達に少しでも伝えられたらと思います。
(50代女性亀山市初めて知人にすすめられて)

22,泥さんのお話は非常に興味深かった。資料が豊富(出典もさまざまなところから)で、たくさんのことを知ることができた。私たちはメディアにより、かなり世論統制を受けていることを理解した。でもそのメディア報道にだまされることなく、戦争をしない国であり続けるためいも、憲法9条を守りたい。民主主義が終わってんならはじめるぞ!!みんなで頑張りましょう!!
(30代女性鈴鹿市内初めて知人にすすめられて)

23,わかり易くよかった。今日は雨です。パレードをさっき知りました。鉄の雨が降るといやなので、パレードに参加しようと思います。(40代女性鈴鹿市内初めて知人にすすめられて)

24,とてもわかりやすい、楽しい・・と言ってよいのか、心強くなるような講演会でした。ありがとうございます。(40代女性鈴鹿市内初めて知人にすすめられてチラシをみて)

25,自衛官達のあり様、考え方が、いかにしっかりとした地に足をつけたものか、わかりました。憲法9条を守り、国を守ると言う姿勢を持ちつづけていることに感心しました。「兵は凶器である」ということばも身にしみました。(70代男性鈴鹿市内初めてチラシを見て)

26,専門的な具体例でわかりやすい話をしていただいたと思う。このような講演をもっと全国各地でやったらよいと思う。(70代男性亀山市初めて知人にすすめられて)

27,一言も聞きもらすまいと思わせる上手な語り、それ以上の事実を持っての話は感心させられました。いくつもの“事実”、知らなかった自分を思い知らされました。(70代男性菰野町初めてチラシを見て)

28、大変分かり易い(内容、話し方)話でした。軍事の専門家(研究者)はいても、難しい専門的な話になりがちだが、一つひとつのエピソードが分かり易く説得的(中には非常に専門的な知識も含まれる)でした。もっと県内各地で呼んだほうがいいと思います。
(70代男性津市初めてチラシを見て)

29,泥さんの講演、はじめて聴くことができました。元自衛官の話にひきこまれ、聴きました。他では聴くことのできない様な視点からの、しかも専門的であり様々な資料を使っての話はリアルで心身に迫るものでした。(70代男性桑名市初めてチラシを見て)

30,良い講演でした。鈴鹿市の見識の浅はかさが更に深まりました。しかしこのことがあって、知ることの大切さが、今日の講演でしみ入りました。国を守ることは平和を守ることだと、どうしてアベ君は理解できないのでしょう。(60代男性鈴鹿市内知人にすすめられて)

31,スライド(プロジェクター)を使っての話は大変わかりやすかった。各資料に基づいての話は事実の話で、すばらしい講演内容でした。すごい話でした。参加者全員が感動したと思います。(60代男性鈴鹿市内初めて知人にすすめられて)

32,わかりやすい言葉で、スライドも使って視覚的に、具体的な話題で講演されましたので、とても勉強になりました。ありがとうございます。ミンダナオ島でのJICAの活躍や、若者たちの行動に励まされました。ガンバラねば!(60代男性鈴鹿市内初めて知人にすすめられて)

33,戦争は人殺しです。自衛といいながら武力行使をしようとしているが、今、大事なことは外交努力を積み重ねて70年も戦争をしていない日本を誇りに活動して下さい。私もがんばります。(60代男性津市初めてチラシを見て)

34,7月28日まで強行採決させなければ“60日ルール”無効、廃案!(70代男性津市2回目)

35,3つのまやかしの話はよくわかりました。泥さんは自衛隊員でしたが、戦争反対の立場を明確にしており、すばらしいと思います。国会を延長してまで法案を通そうとする安倍内閣に、国民の力で廃案にすることを、私自身も行動しようと思いました。
安保法案を絶対やめさせるための取り組みをこれからも企画して下さい。(60代男性四日市市3回目以上知人にすすめられて)

36,感動でした。私も前から武力で国を守れない、経済・スポーツ・文化・教育などの交流で国を守れると思っていましたが、間違っていなかったと自信を持ちました。(60代男性四日市市初めて)

37,涙が出るくらい感動し、、面白かったです。この夏は何か行動します。出来ることから・・・。(50代男性鈴鹿市内初めてチラシを見て)

38,パワーポイントを使い、ジョークを交えながら、とてもわかりやすい講演で、たいへん聞きやすかった。(50代男性鈴鹿市内初めて知人にすすめられてチラシを見て)

39,6/19―24まで沖縄に行ってきました。戦後70年沖縄県主催の平和記念式典にも出ました。沖縄の人達の思いも知ることが出来ました。報道では出なかったアベさんへのヤジ、翁長知事への声援、男子学生の詩の朗読、とても考えさせられました。泥さんのお話、分かり易かったです。平和の大切さを理解できました。「剣を持つ者は剣によって滅びる。」だと思います。(50代男性鈴鹿市内初めてチラシを見て)

40,この情報社会で目に見える情報が全てではない、必ずしもそれが正しい情報ではない、ということを改めて分かり、しっかりと判断して未来のことを考えていかないといけないと思いました。ありがとうございました。(20代男性四日市市初めて知人にすすめられて)

41,ニュース等では確認することができない政府の内部事情を、分かりやすく知ることが出来た。又、諸外国への日本の和平への働きかけの成功例の話も聞くことができ、あらためて憲法は大切である事を実感しました。(20代男性鈴鹿市内初めて知人にすすめられて)

42,2月のアスト津以来2回目です。元自衛官として語られる話は、大変貴重だと思います。(30代男性津市2回目チラシを見て9条の会)

■感想文回収133枚
<地域別>鈴鹿73、四日市16、津14、桑名5、亀山4、いなべ1、菰野1、不明19
<男女別>男59、女55、不明19
<年齢別>20代2、30代3、40代3、50代20、60代55、70代45、80代以上3、不明2

泥憲和さん講演20150704チケット


Source: 九条の会すずか

さがみはら九条の会からの呼びかけ 2015.06.09

 子や孫を犠牲にする戦争は絶対いや、平和がいちばん!

 

 安倍首相はアメリカを訪れ、日米新ガイドラインを認め、アメリカの議会で演説し、集団的自衛権を行使し、「切れ目なく、いつでも、どこにも、地球の裏側まで自衛隊を派遣し、米軍の戦争に協力する(国際平和支援法案)」とアメリカに誓約しました。

 戦後70年目に、平和国家に終止符を打ち、アメリカの戦争に、協力して、海外で、若者を戦争に動員し、戦争に協力するとアメリカに誓約したのです。

 「日米新ガイドライン」を具体化するために『安保法制』(戦争立法)を国会で強行審議し、戦争法案を一気に成立させようとしています。

 アフガン、イラク戦争では、憲法違反になるために、戦闘地域に自衛隊を派遣できないことや、武器の使用を認めないことが、特措法で明記されていました。

 ところが今回の「戦争立法」では、「国際平和支援法」(恒久派兵法、新法)と現行法改悪案10本を特別委員会で一括審議し、強行成立させ、アメリカが行うすべての戦争等に協力し、自衛隊を戦闘地域に派遣し、武力行使できるようにようとしています。そうなれば、戦後71年目に日本は「殺し、殺される」戦争に巻き込まれることになります。

 

 戦争国家は社会保障をこわす

 

 介護報酬2.7%削減など社会保障削減により、安倍内閣は3900億円も社会保障費を削減しました。ところが安倍首相が米国から帰国して間もなく、横田基地にオスプレイ10機配備やオスプレイ17基を日本が購入し、3600億円も負担することになるということが発表されました。新年度予算に計上されたオスプレイは1機100億円でしたが、安倍首相の帰国後に発表されたオスプレイ購入では、1機当たりの価格は新年度予算の価格の2倍、200億円になっています。何が何でも戦争の安倍内閣の政策で国民の命、雇用、暮らしが破壊されています。

 


奨学資金は返還の必要のない給付制に!

 

 OECDの統計は日本の教育予算が加盟先進諸国の中で最低!と発表しています。イギリスやフランス等の国々では、大学の授業料は無料です。そのうえ、奨学金は給付制で返還の必要がありません。18歳選挙権を生かし、安心して学べるように、給付制奨学資金制度を実現しましょう。軍事費を減らし、平和のために国の税金を活用しましょう。

Source: さがみはら九条の会

7月3日15時~憲法学者が国会前に集結!

「安保関連法案に反対する憲法学者リレートーク」

日時:2015 年 7月 3日(金)午後3時~6時
場所: 国会正門前 右側

●呼びかけ人
石埼学 (龍谷大学教授)
永山茂樹 (東海大学教授)
西原博史 (早稲田大学教授)

●発言予定者
石川裕一郎 (聖学院大教授)
稲正樹 (国際基督教大学客員授)
志田陽子(武蔵野美術大学教授)
清水雅彦(日本体育大学教授)
中川律 (埼玉大学准教授)
三輪隆 (元埼玉大学教授)
渡邊弘 (活水女子大学准教授)
ほか
7・3リレートーク

Source: 東京法律事務所憲法9条の会

「平和への権利国際キャンペーン」署名とコメントを国連人権理事会議長(ドイツ)に提出しました。

ご賛同くださっている皆様へ
平和への権利国際キャンペーンのネット署名にご賛同ご支援ご協力くださり心から感謝申し上げます。 
平和への権利国際キャンペーン日本実行委員会の笹本弁護士が、6月19日まで集まった2700筆の署名とコメントを印刷して 6月27日に提出してくださり、報告を下さいました。引き続き署名を募っています。 

    ネット署名サイト ⇒ https://www.change.org/right-to-peace

笹本弁護士より
「日本からの2716筆の、国連人権理事会宛の署名を、人権理事会議長(ドイツ)に提出してきました。 
快く受け取ってくれました。日本には平和的生存権があり、全世界の人の人権だと憲法にも書いてあり、支持が多いのです、などの訴えはよく聞いてくれました。
普通、NGOとの接触は嫌がられるのですが、今回は特別に配慮してくれました。 
署名と議長室の写真を添付します。」

****************************
   イタリア 平和への権利条例 学習会
                         &
   6月ジュネーブ国連人権理事会報告
             7月11日(土)18:30~
****************************
イタリアの地方自治体は、1980年代から、平和への権利を盛り込んだ条例を制定しています。
これはイタリアのパドバ大学など市民が呼びかけたもので、100以上の地域で条例ができているそうです。
イタリア憲法は、侵略戦争の禁止条項がありますが、それを地域に根付かせるために、地方でも平和を権利として捉える運動が始められました。
今回の学習会では、その点を学習し、日本における「平和への権利」と「平和的生存権」の普及活動に役立てて行きましょう。
イタリアツアーも考えています。
また、6月下旬の国連人権理事会で平和への権利は、どう議論されたのか、今後どうなるのか、ジュネーブ報告もあります。

●イタリア平和への権利条例について
    前田朗さん(東京造形大学教授)
●ジュネーブ6月人権理事会の報告
   笹本潤さん(弁護士/平和への権利キャンペーン日本実行委員会事務局長)

日時:2015年7月11日(土)18:30~
場 所:男女共同参画センター(ウィズ新宿)3F会議室
https://www.city.shinjuku.lg.jp/kusei/file12_01_00001.html
都営地下鉄新宿線「曙橋駅」A4出口から徒歩3分
東京メトロ丸ノ内線「四谷三丁目駅」から徒歩10分

     http://nobel-peace-prize-for-article-9.blogspot.jp/2015/07/blog-post.html

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平和への権利国際キャンペーン日本実行委員会
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以上

   平和への権利国際キャンペーン日本実行委員会からのご報告とお知らせでした。

引き続き署名の呼びかけとキャンペーンを盛り上げてください!どうぞよろしくお願いいたします。

    「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会

     ネット署名:http://chn.ge/1bNX7Hb
     ツイッター:https://twitter.com/9_npp

Source: 「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会